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哀憐峠



7 女の性

「この様なむさ苦しい所へお連れして申し訳御座いません。雨もそう長くは無いと存じますれば暫しご辛抱
 の程願いあげます」
 洞の奥に小夜を座らせ、茂市は外敵に備え入り口に座を構えた。雨は篠突く激しさとなり、風も加わった。
 ――どんなにかお心細いだろうに・・・。
 茂市は何とか励まそうと思うのだが狭い洞の中に一緒に居ることさえ罪のように感じ身を硬くしている。
 一瞬稲妻が走り追い駆けるように”ゴロゴロ”と雷が鳴った。
「―――! ―――!」
 茂市の体が石像と化したかの如く凝固した。稲妻の恐怖に小夜がその背に抱きついたからである。茂市の
 胸は高鳴り息することさえ出来ぬ侭、その膨よかな胸の感触を背に受け止め放心していた。
「取り乱して済みません」
 危険は無いと知った小夜は背を離れ少女のような恥じらいを見せつつ詫びている。その言葉に俗語の匂いを
 感じ茂市は主従の距離が少し近くなったような錯覚を覚えた。直ぐにその感情を打ち消しはしたものの洞の
 奥に小夜を座らせ、番犬の如く外へ眼を光らす茂市の心は冷静さを失なっていた。だからと言って下僕と
 しての使命や小夜を暗闇の恐怖から護り抜くとの思念に変わりはない。微かな稲妻や遠雷が間断なく続くが、
 小夜は必死に堪えているようだ。腰元の身形
(みなり)はしていても「姫」との自覚だけが支えなのだろう。
「ピカッ!ガラガラ!ドドーン!」
 突如、耳をつんざく雷鳴と共に目も眩む火柱が前方の巨杉と天空を繋いだ。
「キヤアァー!!」
 絹を裂く悲鳴が洞の壁に跳ね返り、我慢の限界を越えた小夜が茂市に縋りつく。今度はしっかりと正面で
 受け止めた茂市は又しても胸の鼓動を抑えることが出来ない。
「大丈夫、大丈夫で御座います」
 譫言
(うわごと)のように呟くその声は小夜を安堵させる為のものなのか、己の昂りを悟られまいとする為の
 ものなのか定かでない。小夜は恐怖の絶頂に身をおき、益々強く抱きついてくる。
 ――姫様の恐怖を静めるための抱擁なのだ。
 茂市は己に弁明しながら抱く手に力を込めた。下僕であると言う自覚だけが僅かな理性を支えているが、
 心は一触即発の危険性を孕んでいた。
 
 膨腹
(ぼうふく)の苦しみが一発の放屁により解消されたかの如く、この落雷を最後に雨も上がり峠は
 明るさを取り戻したいった。
「姫様、雷雨は去りました、もう大丈夫で御座います。日暮れまでにはもう一つ山を越えねば成りませぬ
 ゆえそろそろ参りとう御座ります」
 茂市は何時までも抱き締めて居たい衝動を振り払い両手を解いた。だが小夜は一向に離れようとしない。
 ――まだ落雷の恐怖から抜け出せずにおられるのだろう。
 茂市は暫く此の侭で居ようと再び其の腰に手を廻した。恐怖を鎮める為の抱擁なのだとの大義名分が茂市
 を少し大胆にさせ胸の高鳴りもいつしか消えていた。
 ――はてな?。
 茂市は訝った。小夜が熱い吐息に喘いでいる。
「いかん!恐怖の余り熱を召されたか!姫様しっかりなさいませ!」
 茂市の陶酔は忽ち狼狽に変った。何としても湯沢にお連れするのだとの願いも此処で倒れられては水疱に
 帰す。先ずは熱を鎮めることが先決である。
「姫様お待ち下さい、薬草を探して参ります」
 茂市は小夜の手を解こうとするが一層強くしがみ付き、心なしか胸を擦りつけ喘ぎの度を増して行く。
 ――このご様子は発病ではない、まさか!?。
 茂市の狼狽が驚愕に変り、その喘ぎの何たるかを知った。
「姫様、なりませぬ!」
 𠮟咤する茂市の声が何処と無く弱弱しい。茂市とて多感な年頃の若者である。日頃高貴なお方として崇め
お仕えしてきた姫君に擦り寄られ狼狽えつつも叱る言葉は力無く、畏れ多いとの気持とは裏腹に愛しい女と
して抱き締めていた。
「茂市は小夜を嫌いかぇ?」
 上目遣いに熱い吐息が誘う。その濡れた唇は忽ち茂市の唇に塞がれ、洞の薄闇に崩れ堕ちた。
 高貴な姫君が何故これ程迄に乱れたのか。そこには姫様大事とお仕えしてきた茂市には到底想像も出来ぬ、
 いや茂市だけでなく、男には空想すら出来ぬ「女の性
(さが)」と言う魔性が渦巻いていたのである。
 ”明眸皓歯・容姿端麗・冷静沈着” と言われる女程この魔性を秘めているのだと言う。普段は女の鑑
(かがみ)
 とされる女性は自ら欲情を表に出す事は無いが、一旦男に抱かれれば淫らに悦楽を求め飽く事が無い。仮に
 それが獣
(けだもの)のような男で手籠にされたとしても、交われば顔は恐怖に戦きつつも、腰を浮かせ膝を
 開いて男を呼び込んでしまうものらしい。髪や爪先までも性感帯の女、それが魔性の女であり、自力で制御
 出来ない性
(さが)なのである。小夜は死に行く母の胎内から掴み出された時からその業(ごう)を負わされて
 いたのかも知れない。
 ――漸くにして落着きを取り戻されたらしい。
 小夜の手が緩むのを感じ、茂市も又手を解こうとした。そして次の瞬間新たな小夜の行動に絶句した。
 何と小夜の右手が茂市の股間に向っているではないか。そこには静脈を浮き立たせ熱き棍棒と化した己自身
 が蠢いている。躊躇いながらも的確に下りてきた小夜の手は棍棒を探り当てると静かに握りしめた。
「ウッ!!!」
 雷に撃たれたような衝撃に全身が硬直する。
 ――いけない、下僕の身で姫様と情を交えるなど、死んでもしてはならぬ。
 心はそう叫んでいる。然しその心も甘美に咽る小夜の色香に打ちのめされていた。茂市の手も又小夜の秘境
 へと動き始めていた。泉のほとりに濡れいる芝生に触れ其の手は止った。
 ――これ以上踏み込む事は出来ぬ。
 自らを𠮟咤し手を引こうとした時、小夜の手が重なり泉へと導いた。茂市にはもう其の手を振り払う程の
 気力は失せていた。生温かき滑
(ぬめ)りの中で茂市の指が蠢き、小夜の悶えが闇を濡らす。腰帯は既に解か
 れ襦袢は無きに均しき程はだけられている。茂市も又全裸に等しかった。一頻り続いた愛撫が途絶え、
「は、早う・・・!」
 口を半開きにした小夜が腰を浮かせ茂市を呼び込もうとする。
 ――最早や躊躇う時では無い。
 欲情と理性の狭間で幾度もなく逡巡してきた茂市の最終的決断であった。一旦立ち上がり褌
(ふどし)
 かなぐり捨て、白く横たわる女体に覆い被さろうとした。今までは余り近すぎて幻惑の中に去来していた小
 夜の顔が妖しげな色香を湛え、神々しく見えてくる。
 ――後戻りは出来ぬが姫様と同体になるのは許されぬ事、下僕としての礼儀は守らねばならぬ。
 その手段
(てだて)として傍らに舞込んだ朴の葉を手にするとそっと泉の上に置いた。
「神よ、罪深き吾をお裁きあれ!」
 片手拝みに呪文を唱え、粛々たる思いの中に渾身の力を込め、棍棒と化した己自身を突き立てた。茂市の
 それは朴の葉を突きぬけ泉の奥深く沈みこんでいった。身分の上下を隔つ唯一の境界、それが一枚の朴の葉
 であった。それは又、主と仰ぐ姫君への礼節と本能とも言うべき欲情との狭間で葛藤し続けた茂市が、下僕
 として為し得た謝罪であり、条理の証しでもあった。裏を返せば不倫理を正当化させようとの手段だったとの
 捉え方も出来よう。然し、其処には姫君に対する畏敬の念は窺えるとしても、弁明しようとの狡猾さは微塵も
 感じさっせない純粋さだけが存在していた。
 一枚の朴の葉がある一点を遮る他は互いの肌が同化したかの如く密着し、愛情を注ぎ合った二人は精魂尽き
 やがて果てた。さざなみのような睡魔が二人を夢の世界へと誘
(いざな)っていった。


8 狂想の果

 どれ程の刻が過ぎただろうか――
 悪夢に苛まれ自らの呻き声に茂市は覚醒した。その気配に小夜も目を醒まし身を繕うと恥らいつつも膝を揃えた。
 朦朧とした意識の中に落雷で始まった小夜との情事が甦る。
「姫様、お赦し下さい。身分も弁えず取返しの着かぬ事をして了いました。この上は死んでお詫び申上げます」
 茂市は ”がば!”とひれ伏した。
「茂市よ、そなたが悪いのではない。小夜の体に悪魔が棲みついたまでの事、そなたを巻添えにした妾
(わらわ)
 方こそ詫びねばならぬ。だがこうなったからは小夜も生きてはゆけぬ。茂市よ、小夜と一緒に死んでおくれか」
 静かに、そして尊厳さを失わぬ声が洞の闇に滲んだ。
「姫様なりませぬ、死ぬるは茂市めだけ、姫様はどうぞ湯沢へ参られませ」
 小夜の死を思い止まらせようと茂市は焦った。
 ――自分が先に死ねば思い止まるやも知れぬ。
 確証は無いものの他に手立ても無い。茂市は傍らの短剣を手にすると、
「ご免!」
 言うが否や己の腹へ突き立てた。
「あっ!待ちや!」
 小夜の静止も及ばなかった。短剣は心の臓を貫き茂市の顔から血の気を奪って行く。
「この身の罪は死んで償えるものでは有りませぬが、他にお詫びの術も知りません。全ては茂市の不徳、姫様に
 罪は御座いません。どうぞご無事で湯沢へ参られますようお祈り申し上げます。茂市は姫様にお仕えできて本当
 に幸せでした」
 苦しい息の下から搾り出すような声が闇を濡らし茂一は事切れた。
「茂市! 茂市ぃー!」
 いつ果てるとも知れぬ小夜の悲涙が茂市の死顔を濡らす。
「茂市よ、小夜はそなたと刺違える事も出来なくなりました。そなたが死ねば小夜が生きて湯沢へ行けると
 お思いかえ、情けなや、小夜はせめてそなたと共に逝きたかったものを。恨みます、小夜一人ではこの峠を
 降りる事さえ叶いませぬ。いえ、譬えそれが出来たにせよ、そなた一人を逝かせはしない」
 よろよろと洞を出た小夜は昼間落雷に裂かれた巨杉の所まで辿り着いた。真っ二つに裂けた巨杉の半分は
 切り立った崖に宙吊りになり風に揺れている。眼下には満々たる塩根川が月明りに微かな光を吸い青白い流れ
 に息づいていた。
「父上、母上、そしてお甲よ。小夜の乱行を赦しておくれ」
 崖を背にして比羅保許城の方角
(かた)へ合掌し、仰向けざまに身を投じた。塩根川の流れがそれを飲込んだ。
 
                                          (つづく)
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